仕方ないので自分で何か書いてみる

と言っても、今の時期何かネタがあるかというと…世間的には安倍さん辞任とか後任首相云々なんでしょうけど、別に書くことないんですよね…。個人的には福田さんの方がローゼン閣下麻生さんよりはいいかな〜とは思うんですけど。

個人的には後任首相云々よりも『ヱヴァンゲリヲン新劇場版*1の方が全然マイブームだったりします。昨日もレジュメもレポートも書かずに朝五時までメッセンジャーで延々と新ヱヴァについて語ってました。

と思ったら、二時間もラジオで語っている人がいた(笑)。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版公開記念 深夜の緊急対談」(社会学者の宮台真司さんと編集家の竹熊健太郎さん)

作業BGMみたいな感じで二時間聞いてましたが、ちょっと宮台さんの発言を要約引用。
「『磐石な日常』なんて概念はもうない。オウムは人気があった。『人類の救済』とかが意味を持っていた。でも、今時そんなことを言っている奴はいない。当時とは文脈が変わってしまっている。(中略)自分とスクリーンのあいだに遮がかかってしまっているように見えた。一つの理由は尺が短すぎて余裕を持ってみれない、二つ目の理由は見る側が変わってしまっている、『大文字のサルベージ』とかを誰も信じてない」*2

確かに僕も、スクリーンに「遮がかかっている」というのは僕もすごく同感です。うまく表現できませんが、「エヴァ」のときとは何かが違うという、違和感みたいなのを覚えたのは確かなんですよね。スクリーンが遠い。

宮台さんとかと違って、僕なんかは「エヴァ」を見たのは21世紀入ってからなんです(年齢を考えれば当たり前ですが)。でも、改めて先月、6話までニコニコ動画で見たんですが、そこで感じたのは何となくエヴァって90年台的だな〜ということです。
実際、僕が小学校に入ったのは94?とにかくその当たりなので、90年代というのをあまりイメージがわかないんですけど、阪神大震災とかオウムとか山一證券が潰れたとか就職氷河期とか、そういう暗いニュースばっかり記憶に残っているんですよね(何故か神戸の事件は全然印象に残ってないのですが)。で、「エヴァンゲリオン」も6話までは凄く暗いんですよ(8話からは明るくなりますが、また終盤は鬱展開に…)。正直、今、こんな暗い話をやってヒットするだろうか?というのは何となく疑問としてあるんですよね。

で、僕は2000年に中学入学*3するんですが、中学はというと社会的な出来事しては2001年9.11テロとそのあとの戦争も勿論ですが、個人的には2002年W杯の日本中の盛り上がりが印象に残っているんですよね(逆に言えばそれ以降は何もない気がする…)。
サッカーよりも野球の方が人気あるという土地に生まれたのに、右に倣えみたいにサッカー日本代表を応援する周りに唖然とした記憶があるんですよね…。というか、スポーツを使えばこんなに簡単にナショナリズムを煽れるのかみたいな(笑)。その頃からネットを使いだして、某匿名掲示板のあのナショナリスティックな雰囲気に触れたりしてましたし。

「逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ」というシンジのセリフが僕なんかは割合妙なリアリティを持っていたりするんですけど、うまく表現できませんが、エヴァは2000年代(というか9.11とW杯のあと)とは何か違う印象を受けるんですよね。

何が言いたいのか自分でもよく分からなくなってきましたが、2000年代というのをどう監督の庵野秀明が調理してくるか、というのは僕は期待しています。
でも、それ以上に期待しているのは僕の中の「エヴァ」(90年代を?)を終わらせて欲しいということだったりするんですが(笑)。上述の「宮台×竹熊」対談で「エヴァは『救済観の違い』というものを描いてる」と言ってました(例えば、ゼーレのゲンドウのミサト&アスカの救済は最終的にはバラバラで、実際劇場版ではみんなバラバラの行動を起こしたりする)。僕にとっての最大の救済は、僕の中の「エヴァ」を終わらせてくれることなんですよね(笑)。
でないと、いつまでもエヴァの呪縛から逃れられそうにないですし、その種をばらまいたのは庵野なんだから、自分でまいた種ぐらい回収して欲しいみたいな(笑)、って自己中的な結論ですが。




…って学術会というある程度パブリックなブログにこんなオタッキーで私的なことを書いていいのだろうか…。

(文責K.D.)

*1:知らない人のために注釈。10年以上前に流行ったSFアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(略称エヴァ)のリメイクで、予定では四部作。第一弾『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』が今月公開された

*2:勝手に私が要約しています。もし宮台さんの発言意図と違った場合、それはすべて私の責任です

*3:ミレニアム入学とか色々言っていたので覚えてます