猿でも分かる純粋理性批判 連載第四回
ODです。締め切り大幅に破って申し訳ない。
自分の担当するP141〜152は私たちのアプリオリな全ての認識を一個一個丁寧に分解していきましょー、という話です。すっごい丁寧に話を進めているのでよくわからなくなる、てか自分も?なところがあるので「ちがうんじゃ?」と思われたかたはコメント遠慮なくつけてください
最初に問題として挙げられたのは
1.諸概念は純粋概念であり、経験的概念ではない(前までのページより)
2.諸概念は直観と感性には属さず、思惟(概念による認識)と悟性(判断する能力)に属する(同じく)
3.諸概念は基礎的概念であって、派生的概念あるいはそこから合成される概念とは十分に区別される(1の言い換え)
4.諸概念の表は完全であり、諸概念は純粋悟性の全分野を完璧に充足する
4の「諸概念の表は完全」がちょっとわからないが、完全を算数で習った集合の中の全体と考えると、分解された諸概念のトータルは純粋悟性全体とイコール、ということかと。アプリオリな全認識を一個一個純粋悟性認識に分解していっても大丈夫っす、てことよね。
「さて、1つの学問のこうした完全性は、単に試験的に成就された集合物の概算に基づいては確実に容認されえない。だから、その完全性は、アプリオリな悟性認識全体の理念を媒介にしてのみ〜(略)、体系における諸概念の連関によってのみ可能である。」
(0_0)おまっ、さっき分解してもだいじょーぶって言ったじゃん。ここわけわからんので誰か補足プリーズ。
ま、とりあえず超越論的論理学は二編から成り立ち、1.純粋悟性の諸概念 2.純粋悟性の諸原則 だそーです。
第一編 概念の分析論
自分がやるのはいままで誰もやってこなかった悟性という能力自体を分析するんだよ。アプリオリな諸概念は悟性からしかでてこない。悟性について分析することで、経験的諸規則(アプリテリオリ・100%正しいといえない経験則)とアプリオリな諸概念を明確に分けれるハズです。
第一章 すべての純粋悟性概念の発見の手引きについて
純粋理性は規則にしたがってアプリオリな諸概念の探索をしないと、経験則が混じってきちゃうよ。
第一節 論理的悟性使用一般について
悟性は感性とは違う。感性を切り離すと直観は得られないから悟性≠直観。でも直観をとっぱらったら直接対象(自分以外の存在、と言っちゃっていいのかなぁ)を認識できない。対象の表象(対象を示す記号)か概念を通じて間接的にしか認識できない。
「すべての判断はわれわれの表象のもとでの統一の機能である。というのは、つまり、直接的表象のかわりに、この表象より多くの表象を自らのもとに包括するより高次の表象が対象の認識のために使用され、このことによって多くの可能な認識が一つの認識においてまとめられるからである」
この項でカントは悟性一般は判断する能力といっています。悟性のみで直接対象を認識できずとも、その表象や概念を悟性により統一することができ、一つの高次な認識をつくりだすことができる、くらいの意味かな?高次な認識って一般化のように思えるんですが経験則によってないから帰納法ではないということなのでしょうか?
第二節 判断における悟性の論理的機能について
前項で悟性一般は判断する能力と言いましたが、じゃあ今度は判断について考えていくべ
1.判断の量 全称的判断
特称的判断
単称的判断
2.判断の質 肯定的判断
否定的判断
無限的判断
3.判断の関係 定言的判断
仮言的判断
選言的判断
4.判断の様相 蓋然的判断
主張的判断
論証的判断