人も分からぬ純粋理性批判:第一回
◇今回はちょっと…
・あるいは世にも奇妙な『純粋理性批判』
今回は、理解不足なので、番外ということで。
学習会後、ちゃんと理解したら、修正して、再アップしたいと思います。
・DK及び、ODへの課題の目的について
今回アップする部分、特に第三節に関して、理解がかなり不十分です。
DKとODに与えた課題は、今回の内容を理解するうえで、私にとって躓き石となっている部分に相当します。
第三節冒頭に
「一般論理学は」「よそから表象が与えられることを期待し、この表象をまず概念に変えようとするが、このことは分析的に行われる」
との記述があります。
超越論的論理学の場合には、総合的に行われるという記述と対照されています。
なぜ、前者は「分析」で後者は「総合」なのか。
DKへ。
この疑問を解決してください。
ODのほうは、逐一意味を調べていけばいいだけです。
◇レジュメ(コピーしたければして下さい。当日配布はしません。ただし、いつもどおりPCを持参します。)
■第三節
・一般論理学
「表象(外部から)→概念」⇒分析的
・超越論的論理学
「素材(超越論的感性論)=アプリオリな多様→純粋悟性概念」
「表象(感性の制約)
・総合とは?
思惟の前提として、多様が通覧、結合(つまりは分類)される必要
→これを総合
→多様がアプリオリな場合、純粋総合
・認識と総合
→分析だけでは、認識はなされない
→多様の総合がはじめて認識を産出
(⇒この部分は難しい)
・構想力
→総合一般は構想力の作用
→この総合を概念へもたらすのが悟性の機能
・純粋総合
→共通の根拠つまり諸概念に従った総合
→純粋総合は純粋悟性概念をもたらす
・一般論理学と超越論的論理学
→一般論理学
分析的には、さまざまな表象は一つの概念のもとにもたらされる
→超越論的論理学
表象をではなく、表象の純粋総合を概念へもたらすことを教える
・純粋悟性概念
→一つの判断におけるさまざまな表象に統一を与える機能
→悟性は、これにより、概念において分析的統一を介して判断の論理的形式を成就
→一つの直観におけるさまざまな表象の単なる総合に統一を与える機能
→悟性は、これにより、直観における多様の総合的統一を介して、自らの諸概念のうちに一つの超越論的内容をもたらす
→悟性の諸表象の純粋悟性概念と呼ばれる
→しかもこうした純粋悟性概念は、アプリオリに諸客観に関わるが、一般論理学はこのことを成就できない
→すべての可能な判断における論理的諸機能が存在したのとまったく同じ数だけの諸純粋悟性概念が生じてくる
◇「人も分からぬ純粋理性批判」
レジュメのアップだけにしておきましょうか、ひとまずは。中核部分が理解できないままアップしても…。
レジュメのアップで、他の人と同じ条件なので、これでクリアとします。
一応、徒然なるままに書き連ねたメモがあるにはありますが。
では、一つだけ、ODのために。
カテゴリー表を見てください。
質のカテゴリーに「実在性」とあります。
これは、realitatの翻訳であり、ハイデガーによれば、現実性と訳すのは誤りとなります。
「事象内容を表す」が正解。もし、現実性と訳してしまえば、様相のカテゴリーのウイルクリッヒカイトとどう違うのかよくわかりません。
記憶は曖昧ですが、『カント入門』にもこの部分の指摘はあったかな。
以上です。(Man in the shadow)